雨山城址を探してきました
2019/02/03
開催日:2020年01月24日(金)
2020年(令和2年)1月24雨山ダムに集合し、岡崎市文化財審議会委員の奥田敏春先生の御指導を受けながら、委員や地区住民合わせて17名で、雨山城跡の探訪に向かいました。戦国時代の弘治2年(1556年)8月4日織田軍に加勢した奥平に対し、今川義元は、東三河の七将にこれを攻めさせます。新城(野田城菅沼氏)から風越峠を越えて雨山城(阿知波城)を攻めてます。19歳の阿知波定直は、狭い谷間を利用して、木戸や柵をこしらえて敵を挟み撃ちにする構えだったそうです。※手前が合戦場で奥の谷間が柵や木戸を設けた個所。下の礎石は、雨山合戦跡です。墓は、今川軍の菅沼定村のものです。砦と思われた箇所の石組は、後日山の境界の目印ではないかという説があります。