寺社・歴史めぐり
歴史文化探訪委員会
岡崎市東部地域には、戦国時代の歴史である城跡の探訪や、山奥には寺社があります。
これらを通して、色々な方々が岡崎市東部地域に訪問頂き、お互いに交流できることを理想としています。
主な活動内容
- 城址の紹介と勉強
- 神社仏閣の紹介
歴史文化探訪委員会
岡崎市東部地域には、戦国時代の歴史である城跡の探訪や、山奥には寺社があります。
これらを通して、色々な方々が岡崎市東部地域に訪問頂き、お互いに交流できることを理想としています。
主な活動内容
2020年4月19日(日)委員会は、雨山城跡の調査(2回目)をしました。
参加したのは、7名で、岡崎市文化財保護審議会委員の奥田敏治氏、西尾市役所教育委員会文化財課長の石川浩治氏(愛知中世城郭研究会)及び同研究会に所属する現役大学生山崎氏並びに当委員会4名でした。
2019年(令和元年)11月23日 委員会は、滝山城跡の探訪に向かいました。万足平を望む北側にそびえる頂きに滝山城があります。奥平氏が武田から織田、徳川へ加勢し将来の地位を運命づける戦いの始まりとなった砦です。
2020年(令和2年)1月24雨山ダムに集合し、岡崎市文化財審議会委員の奥田敏春先生の御指導を受けながら、委員や地区住民合わせて17名で、雨山城跡の探訪に向かいました。戦国時代の弘治2年(1556年)8月4日織田軍に加勢した奥平に対し、今川義元は、東三河の七将にこれを攻めさせます。新城(野田城菅沼氏)から風越峠を越えて雨山城(阿知波城)を攻めてます。19歳の阿知波定直は、狭い谷間を利用して、木戸や柵をこしらえて敵を挟み撃ちにする構えだったそうです。※手前が合戦場で奥の谷間が柵や木戸を設けた個所。下の礎石は、雨山合戦跡です。墓は、今川軍の菅沼定村のものです。砦と思われた箇所の石組は、後日山の境界の目印ではないかという説があります。